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Special Report02 治癒した患者さんの笑顔 -内科医のチカラ― 浜松医科大学 血液内科 助教 小野孝明先生

浜松医科大学で助教として若手医師の良きサポート役を担われている小野孝明先生に、先生の若手時代を中心に聞いた。

医師を目指した理由

高校生の時、自分が理系人間なのか文系人間なのか、正直、迷っていました。また、一生、仕事をするのなら、月並みですが、やり甲斐のある仕事を選ぼうと思っていました。
その時、医師という職業が思い浮んだのです。
医師という職業は疾患を理解したり研究の際に理系的な考えが必要とされる一方で、患者さんとのコミュニケーション能力が診療で重要視されるといった文系的な一面も併せ持つという、どちらの側面も合わせもつ職業であるという点に惹かれました。

血液内科を目指した理由

自分が医学部の学生だったときに、母親が乳がんになったことなどもあり、将来的には悪性腫瘍を専門にやりたいと思うようになりました。その当時、悪性腫瘍といえば、やはり外科で手術を行うのが一般的だと考えており、実習が始まるまでは、漠然と外科に進もうと思っていました。
大学5年生の病院実習(ポリクリ)で、血液内科で急性前骨髄球性白血病の患者さんの担当となりました。その当時、浜松医科大学では、急性前骨髄球性白血病の研究が盛んに行われており、分子標的療法剤である総トランスレチノイン酸(ATRA)やタミバロテンの投与で白血病細胞が急速に減少し、大きな合併症なく患者さんの状態が良くなっていく姿が目に焼き付き、分子標的療法の効果のすごさに衝撃を受けました。将来的に悪性腫瘍の治療は抗がん剤治療や手術から分子標的療法に変わって行くのではないかと感じたことがきっかけです。その当時、分子標的療法が実際に臨床に導入されているのは血液内科のみでした。

研修医時代を教えてください。

大学病院での研修医生活を経て聖隷浜松病院へ

大学病院で1年間勤務した後、2年目からは聖隷浜松病院で循環器科、呼吸器内科、救急科などで研修し、聖隷浜松病院の血液内科でスタッフとして働くようになりました。 入院患者さんを常時15-25名は担当していました。とにかく、忙しかったですが、なるべく重症の患者さんを大変でも多く受け持つようにしていました。このおかげで、電解質管理から血糖管理に至るまでの全身管理が自然と身につくようになりました。さらに、その当時の聖隷浜松病院血液内科の上司の先生方からは、血液内科の知識のみならず、一般内科の知識も叩き込まれました。また、毎日のように患者さんに対する接し方や紙面を使った病状説明の大切さを教えられ、それが、現在の自分の診療スタイルにつながっています。とにかく、医師になって重要な3-6年目の時期に担当症例を多く経験できたこと、そしてすばらしい上司に恵まれたことはラッキーだったと思っています。 しかし、一方では、多くの治らない患者さんを目の当たりにすることも多くなりました。急性白血病では全体の化学療法の成績は良くて40%くらいで、残念ながら、再発される方も多くいました。そのような患者さんには、骨髄移植などの移植治療を行うのですが、その当時の聖隷浜松病院は移植を行っておらず、自分でみてきた患者さんを移植のために浜松医科大学や名古屋地区の病院へ紹介していました。 当時は、最後まで自分で治療できないこと、自分の力で患者さんを治癒に導くことができないことを非常に悔しく思っていました。しかし、その当時は、移植自体を積極的に行っている施設は浜松地区にはまだ少ないのが現状でした。

名古屋第二赤十字病院へ

そのような時、名古屋第二赤十字病院で移植を勉強できる道を浜松医科大学の竹下明裕先生が勧めてくれました。当時、名古屋第二赤十字病院は移植のメッカでもある名古屋地区の中でも多くの移植を行っていました。そこでの研修期間中は、スタッフの上司の先生からも丁寧に指導をしていただき、多くの移植を経験させてもらいました。一方で、名古屋地区の研究会などにも参加するにつれて、臨床や基礎の研究を行い、成果を学会発表や論文などで世界へ発信していくことも必要であると認識させられ、刺激を受けました。

層の厚い医師に囲まれ切磋琢磨している若かりし頃の小野先生。
現在、小野医師が行っている後輩育成の方針は、この時期に関わった上級医からも大きな影響を受けているだろう。

浜松医科大学へ帰局後

浜松へ帰局後は、得た知識と技術を還元できるように移植を積極的に行いました。
当時、浜松医科大学は開院当時からの古い病棟であり、クリーンルームが2室しかありませんでした。自分が帰局するまでは年間2-3例の移植を行っていた施設でしたが、自分が帰局した2005年途中~2006年の1年で15例以上の移植を行いました。いきなり移植の件数が増えたことで、医師以上に看護師さんは移植患者さんのケアなどで大変だったと思いますが、なんとか頑張って、一緒に乗り越えてきました。その当時の看護スタッフや移植を受けた患者さんとは、今でも、その当時のことを懐かしく話すことがあります。その後、ミニ移植や臍帯血移植などの技術も積極的に取り入れ、現在の新しい病棟では移植可能なクリーンルームも多数完備されたため、以前よりもさらに積極的に移植治療を行っています。現在では、静岡県下でも多くの移植を手がける病院の一つに成長しています。

研究について教えていただけますか?

急性前骨髄球性白血病の臨床研究

血液内科医を目指すきっかけになった急性前骨髄球性白血病(APL)の臨床研究の解析も行っています。この病気は、総トランスレチノイン酸(ATRA)と化学療法の併用で90%近くの生存率が得られるようになったタイプの急性骨髄性白血病です。ATRAといった分子標的療法剤が成績を劇的に改善させたタイプですが、この薬を使用しても20-30%の方が、依然として再発してしまいます。

現在までに、自分は、この中でどのような因子が、その予後に影響を与えるのかといった予後不良因子の研究を日本成人白血病研究グループの過去の研究のデータを用いて調べ、米国血液学会や欧州血液学会で発表してきました。

学生の時に興味を持ち、自分を血液内科医の道に導いたこの病気(APL)の研究を15年以上経ってから取り組むようになるとは、自分自身、全く想像していませんでしたが、これをきっかけに、この病気の治癒率を100%に近づけられるよう、さらに日本発のデータを世界に発信できるよう頑張っています。

先生の日常について教えてください。

現在、浜松医科大学では、常時25名ほどの患者さんが入院されており、その半分の患者さんは、無菌病室で白血病治療や移植治療を受けています。その中の7-10名の患者さんを自分自身で受け持っています。 以前から、仕事中心の生活を送ってきましたが、ここ2年くらいで、さらに学生の教育、研究、外部の講演会依頼などの職務が激増しました。このようなストレスフルな生活を上手に乗り切るには、仕事のオンとオフを切り替えられ、仕事とは関係のない趣味を持つことが重要だと思います。大学病院では、日々の診療は忙しいですが、土、日曜日、祭日は完全当番制を導入しており、自分を含めたスタッフのonとoffをはっきりさせ、リフレッシュができるような体制を整えています。
平日は診療と研究論文の作成、事務的な書類の作成などを遅くなっても病院で徹底的に行い、基本、仕事は家には持って帰りません。
子供は男の子2人。自分が小さな時から自然豊かなところで活発に遊びながら育ってきたこともあり、子どもにものびのびと育ってほしいと思い、自然が多く残っている地区に住んでいます。子供たちとの時間が、平日はあまりとれませんが、dutyの比較的少ない火曜日はできる限り早く帰って、家族で夕御飯を食べて子供と一緒にお風呂や寝る時に話ができるように努力しています。休みの日は、子供と一緒に早朝から魚釣りに行ったり、プール、アスレチックなどにいって一緒にいれる時間をとるようにしています。

自分の趣味としては、7-8年前から「ネイチャーアクアリウム」という趣味を続けています。自然界の生体系が再現できるよう、水槽に二酸化炭素と光を与えて光合成を行わせたり、バクテリアによる濾過を行ったりできる本格的なシステムで、120センチの大型の水草水槽を設置しています。その中で、多くのアマゾンの熱帯魚を飼育していますが、水槽の中でみられる、日々の変化をみつけては、子供と一緒に楽しんでいます。

あとは妻が始めたジョギングを自分も一緒に始めようと思っていますが、まだ実行出来ていません(笑)。

若い先生方や医学生にメッセージをお願いします。

悪性腫瘍の治療は分子標的療法の治療により進歩しているのは事実です。しかしながら、多くの固形癌の領域では生存期間は延長できていても生存率の向上には至っていません。一方、血液悪性腫瘍は、急性白血病や慢性骨髄性白血病、悪性リンパ腫といった分野で、分子標的療法の導入により、驚く程に生存率が改善しています。悪性腫瘍を内科医の力で治すことができる唯一の診療科であるといってもいいでしょう。何よりも治癒した患者さんの笑顔をみること以上に、嬉しいことはありません。

 

浜松医科大学・血液グループは若い先生が多く、アットホームな雰囲気で研究と基礎を学ぶことができ、発表なども積極的に行っています。一緒に、診療や研究をしてくれる若手の医師を待っています。ぜひ、一緒に血液内科を盛り上げていきましょう。

後日談
プライベートについても細かく教えていただいた小野先生。関連施設の若手医師からも小野先生は怒らない事で有名と教えていただきました。
このページをご覧の先生。特に初期臨床研修後の進路を迷われている先生。一度、小野先生に進路の相談されてみては如何でしょう。血液内科に進まずとも収穫は得られる筈です。(記者兼医師コンサルタント)